アングル、ルノワール、ロートレックも魅了されたモードでシックな装い~ブラック・ドレス~
私は服が好きだ。
ファッションをこよなく愛している。
服を選んでいる時間はまるで宝探しをしているかのようにわくわくするし、新しく購入した服を身に纏って鏡の前に立った瞬間の高揚感は何ものにも代えがたい。
また、マニッシュな格好をしている時はきりりと引き締まった気持ちに、フェミニンな格好をしている時は優雅で華やいだ気持ちに、というように、その日のファッションによって心や気分にも大きな影響が出る。そんな経験がある方は私だけではないだろう。
しかしながら、最近では新型コロナウイルスの影響で外出する機会が減り、以前よりも服を買わなくなった、オシャレを楽しむ意欲がなくなった、といった声があちらこちらから聞こえてくる。
そんな今だからこそ、ぜひともご提案したいのがおうち時間などを利用して過去のファッション――「絵画の中の人物」たちが纏っているファッションに注目してみることだ。
100年前、200年前の古くさい格好だと侮るなかれ、絵画の中は現代にも通用するようなファッションアイテムやコーディネート、様々なデザインの参考にできるテキスタイルの宝庫である。また、ファッションの流行は「巡る」、すなわち時代を経る中で何度も再生産されてきているので、ファッション史を学ぶことは取りも直さず自分のファッションセンスを磨くことにも繋がるだろう。
このシリーズでは、そんな絵画に描かれたオシャレな人々、「絵画の中のファッショニスタ」たちの装いについて、当時の社会情勢や作品を描いた画家などの情報とともにご紹介していきたい。
ワンカラーの“カメレオン”! 「ブラック・ドレス」と女性たち
シリーズ第一回のテーマは、「ブラック・ドレス」である。
ブラック・ドレスと聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのはシャネルの代名詞ともいうべき「リトル・ブラック・ドレス」ではないだろうか。1926年にココ・シャネルによって発表された、このシンプルな黒一色のドレスは、当時喪服という印象の強かったブラック・ドレスを洗練されたモードな装いとして人々に印象づけるきっかけとなった。
しかしながら、それ以前にもブラック・ドレスは修道女や職業を持った女性、またスペインを中心とする王侯貴族の貴婦人など、様々な国・階級・年齢・職業の女性たちに愛されてきた。
そこで、今回は数あるファッションアイテムの中でも最も汎用性が高く、そして着こなしによってその人の個性が如実にあらわれる「ブラック・ドレス」の描かれた絵画をご覧いただきたい。
肖像画の中のブラック・ドレス
写真が発明されるまで、個人の面影を写し取る手段はもっぱら画家の手による「肖像画」に限られていた。
一枚描くのに時間も手間も費用もかかる上、お見合いのために利用したり、長きに渡って一族の財産になり得たりすることもあるこの肖像画を描かせるにあたり、モデルである女性本人だけではなく、親、夫といった周囲の人々までもがその装いに注意深く目を配っていたのは言うまでもない。いわば、肖像画は一世一代の晴れ舞台であり、家柄や品格、センスの見せ所でもあるのだ。
では、そんな貴婦人たちの“本気”が垣間見える「ブラック・ドレス」スタイルをご紹介していこう。
まずはお手本のようなこちらの肖像画から。この作品は、19世紀前半のフランスで活躍した新古典主義の画家、ドミニク・アングルの手によるものである。
モデルであるルブラン夫人が着ているのは、フランス第一帝政期の皇帝ナポレオン一世(在位1804~14年、15年)の最初の妻である皇妃ジョゼフィーヌが着用したことで大流行した、「エンパイア・スタイル」のドレスだ。この時代のドレスは、前世紀のロココ時代に見られるような極端にウエストを細く絞ったコルセットやスカートを巨大に膨らませるパニエが廃止され、ハイ・ウエストの切り替えと身体に沿って自然に流れる直線的なシルエットが特徴となっている。
ルブラン夫人のエンパイア・ドレスは、黒の絹地や腕を覆う半透明の薄織物が彼女の美しい白い肌を艶めかしく引き立てる一方で、肩口から前立て、袖口に取り付けられたレース、両腕のリボンなどが装いに愛らしさと華やかさを添えている。しかしながら、これらの装飾はすべて黒で統一されているため、可愛すぎない大人の「ブラック・ドレス」スタイルとしてまとまっている。
また、ドレスだけに留まらず、それを描いた画家アングルの超絶技巧――まるで本物と見紛うような布地や金属の質感や、筆触が消し去られた皮膚の描写などもこの作品の見所のひとつとして楽しんでほしい。
次は印象派の巨匠・ルノワールの出世作となった家族肖像画から、シャルパンティエ夫人の「ブラック・ドレス」を見てみよう。
彼女はフランスの有名な出版事業家ジョルジュ・シャルパンティエの妻で、自身も作家のフローベールやゴンクール、ゾラらを輩出した文学サロンを主催していたという、まさに当時の文学・芸術の最先端にいた女性である。
画家ルノワールの、大胆だがやわらかさを併せ持つ独特の筆触で描かれた彼女の「ブラック・ドレス」スタイルは、中に着たフリルシャツの立襟に蝶ネクタイのように黒いリボンを巻くなど、優雅な中にもどこか凜々しさを感じさせる。ドレスの黒地に目を凝らすと、スクエアに開いた胸元に黒い大ぶりのレースが飾られていたり、スカートにレースが何重にもあしらわれていたりと、非常に精緻で豪華な仕立てのドレスであることがわかるが、やはりアングルの描いたルブラン夫人同様、それらをすべて黒一色にすることで観る者に大人の女性らしい落ち着いた印象を与えている。
ちなみに、シャルパンティエ夫人の隣に座っているペールブルーのドレスを着た子どもは、3歳になる彼女の息子、ポールである。お揃いの服を着て犬に乗っているのが姉のジョーゼットだ。まるでそっくりな姉妹のような二人の子どもたちが並んでいる姿は、シャルパンティエ夫人でなくとも思わず笑みがこぼれてしまいそうな愛らしさである。
当時のフランスやイギリスの上流、または裕福な家庭では、こうして男児に女児の服を着せて育てる伝統があった。その理由としては「魔除け」や「邪気払い」(男児は女児より死亡率が高かったため)、「おむつが取り替えやすい」といった様々な説があるが、明確な研究結果はいまだ示されていない。
市井に暮らす女性たちの「ブラック・ドレス」
上記のような貴婦人たちだけでなく、市井に暮らす女性たちにも「ブラック・ドレス」は愛用されてきた。
ここでは、上流階級の女性たちほど衣裳に資金を投じられないながらも、創意工夫を重ねながら洗練された「ブラック・ドレス」スタイルを楽しんでいた女性たちの姿を見ていきたい。
伯爵家に生まれた画家ロートレックは、貴族の血筋ながらパリのカフェやダンスホール、酒場などに出入りする市井の女性たちの姿を描くことに心血を注いだ。彼の手によるポスターは100年以上前の作品とは思えないほどオシャレでかっこいいが、そこに描かれた女性のスタイルもまたとてつもなく洗練されている。
上の作品の前面に大きく描かれている「ブラック・ドレス」の女性は、当時流行した「フレンチ・カンカン」というダンスの人気ダンサーであったジャンヌ・アヴリルである。
映画作品の題材にもなった、赤い風車が目印のダンスホール「ムーラン・ルージュ」でも主役を張ったことのある、パリのエンターテインメント界のスターである彼女のドレスは、細かい装飾こそ描かれていないが、そのシルエットだけでもとびきりシックで垢抜けていることがわかる。
ドレスの袖の膨らみは控えめで、スカートもただ彼女の肢体に沿って流れるだけ。大ぶりの帽子も、そこに取り付けられた羽根飾りも黒で、宝飾品なども一切身につけていない。それにも関わらずこれほどまでにオシャレだと感じるのは、画家ロートレックと人気スタージャンヌ・アヴリルの美的センスがこの作品の中で見事に融合しているためだろう。
余談だが、上の作品では舞台を観に来た観客として描かれているアヴリルが、本業のダンスをしている姿を取り上げた作品がこちらだ。
舞台衣裳であるカンカン・ドレスは、今の時代の感覚からすると正直オシャレとは言い難いが、しかしながら彼女が身につけているロンググローブや帽子飾りなどの小物使いを見ると、やはりアヴリルは「黒」の使い方が上手いな、と思わず感心してしまう。
「黒」のコーディネートの上手さといえばこちらの絵画も忘れがたい。モネやルノワールといった後の「印象派」の画家たちに影響を与えた画家エドゥアール・マネが、女流画家ベルト・モリゾをモデルに描いた作品である。
マネ独特の、べたりと画面に張り付くようなどこか平坦な印象を与える筆触で描かれた「黒」は、これまで紹介してきたどのブラック・ドレスのそれよりも力強い。そしてこの強い「黒」が、モデルであるモリゾの薄い茶色の瞳や髪、白い皮膚に不思議な透明感のようなものを与えている。
飾り気のないブラック・ドレスの胸元には小さなスミレのブーケが付けられているが、その控えめな青が黒づくめの装いの中で絶妙な「抜け感」になっている。
日本の浮世絵からも影響を受けていたマネは、このような「ブラック・ドレス」も描いている。
日本の団扇が何枚も貼り付けられた背景の前で、片肘をついて横たわる女性。黄金の縁取りがなされた前立て(ジレのようなものかもしれない)といい、そこに施された龍の頭らしき金糸の刺繍といい、彼女の纏うブラック・ドレスは何ともエキゾチックだ。装飾品もすべて金で統一されているので、ドレスのデザインとしてはやや奇抜で異国趣味的ながらも、まとまりのあるブラック&ゴールドスタイルとなっている。
さらに、ひとつ前で挙げた《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》のモデルであり、当時数少ない女流画家のひとりであったベルト・モリゾ自身も、「ブラック・ドレス」を纏う市井の女性を描いた《バルコニーの女と子ども》(1872年、油彩・カンヴァス)という作品を残している。こちらは東京都中央区にあるアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)のコレクションなので、機会に恵まれれば日本で実際に鑑賞することが可能だ。
優美で繊細な筆致、そして何といっても自分自身がドレスを身に纏う“女性の目線”で魅力的に描かれた「ブラック・ドレス」は、この時代に生きた女性たちの等身大のファッションを知るうえでも必見である。
伝統衣裳とともに用いられた「ブラック・ドレス」
最後にご紹介したいのが、スペイン王家の宮廷画家フランシスコ・デ・ゴヤが描いたこちらの作品である。
この肖像の女性は、スペインやメキシコ、イタリアの一部で着用されてきたレースのかぶり物・「マンティーリャ」(ヴェールのようなもの)と、当時フランスで流行していたエンパイア・スタイルのブラック・ドレスを身に纏っている。このブラック・ドレスは最初にご紹介したアングルの作品に出てくるものと同じスタイルだが、合わせるアイテムによってまったく異なる雰囲気になるのが面白い。デザインとしてはこちらのドレスのほうがシンプルだが、その分肩にかかるマンティーリャの複雑なレースの模様が際立っている。
「マンティーリャ」の歴史は古く、特にスペインでは17世紀以降、王族から市井に至るまで婦人たちの儀礼的な伝統衣裳として用いられてきた。色は主に黒か白で、現在でも闘牛場の観客席などではこの絵のように黒のマンティーリャに黒いワンピースやリトル・ブラック・ドレスを合わせている女性たちの姿を見つけることができる。
スペインではルネサンス期ごろから王侯貴族の間で「黒」(暗色)の衣裳が流行し、やがて市井の人々もそれに倣って「黒」を身につけるようになったといわれている。けれども、私は常々「あんなに暑い国でどうして黒い服なんかが好まれるのだろう?」と疑問に思っていた。実際、同じく気温の高い東南アジアや南米諸国、南の島国などでは、太陽の光に映える鮮やかな色が好まれる傾向にある。
しかし、実際にスペインを訪れた際、私はふとあることに気がついた。この国では、強い太陽の光と乾いた空気によって、非常に濃い影が生まれるのだ。日本の、どこか淡くぼんやりとしたそれとは違い、スペインで見る影はどこまでも黒く、くっきりとした輪郭を持っており、禍々しくて蠱惑的だ。強すぎる光の下に立っていると、視界の中で白く飛んでしまう影の持ち主そのものよりも、いっそ影のほうが確かな実体を持っているかのような錯覚さえおぼえてしまう。
そして、この黒い影は、まさしく伝統衣裳の「黒」と同じ色なのだ。
おそらくスペインの太陽の下では、黒のマンティーリャはその影と相まって何重もの繊細なレース模様を女性の肌の上に形づくるに違いない。ブラック・ドレスは、そんな美しいマンティーリャとその影を余計な色味で邪魔することなく、加えてそれ自体の裾も女性の影と同化して、まるで優雅に伸びたトレーンを持つように見えるのではないだろうか。
そうした様を想像すると、スペインの女性たちが黒のマンティーリャと「ブラック・ドレス」を組み合わせている理由が、何となくわかったような気がしてくる。日本の伝統色が日本の光や空気の中で見た時に最も美しく見えるように、スペインの「黒」もまた、この国で身に纏った時に最も女性を美しく見せる色なのだろう。
絵画は魅力的なファッションが溢れる“スタイルブック”
今回は「ブラック・ドレス」をテーマに作品を紹介してきたが、このように過去の絵画というのは素晴らしいデザインや着こなしのアイデアが満載の、“スタイルブック”のようなものだと言っても過言ではない。
また、それだけに留まらず、絵画の中で思い思いのファッションに身を包む女性たちの美しくかっこいい、そして矜持に溢れる姿は、日常の中で「ファッションを楽しむこと」の大切さを改めて私たちに教えてくれているように思える。
たとえどんな時代や環境であっても、生活にひとときの潤いを与え、豊かな感受性や創造性を育んでくれる――それこそが「ファッション」のもつ力なのだろう。
普段あまり絵画に触れる機会がなく、「絵の見方がよくわからない」、「美術館に行くのは何となくハードルが高い」……と思っている方にも、ぜひ一度このように「ファッション」を切り口にして絵画を鑑賞してみることをおすすめしたい。
Kao
校閲士・美術史修士。大学在学時に旅行したイタリアでアートに魅せられ、独学で美術史を勉強し大学院に入学、修士号を取得。
趣味はアート、歴史、ファッション。