【ギリシア神話】竪琴、葡萄酒は誰の持ち物?今推したい美青年神【アポロンvsディオニュソス編】
近年、ビジネススキルの一環として、アートを学ぶ方が増えています。そこで、この「一歩進んだアート鑑賞術」シリーズでは、知っていればアートがさらに楽しく、学び深いものになる様々な鑑賞術をご紹介したいと思います。
アトリビュート~“持ち物”で絵の中の人物を特定してみよう!~
特に西洋美術を鑑賞する上で役に立つのが、絵の中の登場人物が「持っているもの」や、その「近くに描かれているもの」によってその人物が「誰」なのかを判別できる、“アトリビュート”の知識です。
これを知っていれば、タイトルに登場人物の名前が入っていなかったり、解説がなかったりする場合、さらにはタイトルに男性の名前があるにも関わらず何故か画面に女性しかいない……などといった不可思議な作品に出くわした場合(※過去記事【アテナ・ヴィーナス編】参照)でも、絵の中の人物が誰なのか、そしてその絵に描かれた主題が何なのかを読み解く手がかりを掴むことができます。
今回は前回に引き続き、ヨーロッパ文化の根幹を成す大きな要素のひとつである「ギリシア神話」を主題にした作品から、どちらも最高神ゼウスの息子(異母きょうだい)であり、その人気・実力ともに伯仲する男性神・アポロンとディオニュソスについて解説していきたいと思います。
【1】アポロン→竪琴・月桂樹・弓矢
アポロン(アポロ)は美形ぞろいのギリシア神話の神々の中でも格別に美しいとされ、光、太陽の神にして芸術の守護神、さらには人間に神託を与えたり、初めて医術を教えたりしたことから、神託や医術の神としても崇められている、まさに神々のプリンスともいうべき非の打ち所のない青年神です。
アポロンの父親はゼウス、母親はティターン神族の娘レトで、双子のきょうだいが月と狩猟、貞節の女神アルテミスです。こちらも有名な神ですよね。
このように容姿も血統も能力も抜群のアポロンですが、こと恋愛となると何故かあまり戦績がよろしくありません。もしかしたら、意外と“残念系イケメン”だったりするのかも…?
それでは、そんなアポロンのアトリビュートを、彼の恋愛エピソードを添えながら見ていきましょう。
【アポロンを示すアトリビュート①:竪琴】
アポロンのアトリビュートの中でも、とりわけ多く描かれているのが「竪琴」です。しかも黄金製。このアトリビュートはアポロンが音楽を含めた諸芸術・文化の神であることを象徴しています。もちろんアポロン自身も竪琴の名手です。
では、早速下の絵画でアポロンを探してみましょう。
9人の美女たちの真ん中で竪琴を持っている青年、これがアポロンです。こんなに美女を侍らせているなんて、やっぱりモテるんじゃないか……と思われたかもしれませんが、彼女たちは叙事詩や歴史、喜劇、悲劇などを司る学芸のムーサ(ミューズ)たちで、いわばこの会はアポロンが主催する芸術サロンのようなものです。とっても真面目な会です。むしろ職場です。このように様々な分野の女神たちをまとめられるほど、アポロンが文化・芸術を幅広く守護している神であることがわかる一枚ですね。
この中のムーサの一人、カリオペとの間には子どもを作っていますが(さすがゼウスの息子…)。
【アポロンを示すアトリビュート②:弓矢】
アポロンは芸術だけでなく武道も堪能です。中でも弓矢の達人とされ、その腕前は大蛇の姿をした恐ろしい怪物ピュトンを見事に仕留めてしまうほど。
こちらの作品でも筋骨隆々で長い巻き毛のアポロンが凜々しく弓を構えていますね。一緒にいる女性は双子のアルテミス(ディアナ)ですが、彼女も弓の名人で、きょうだいともに「弓矢」がアトリビュートになっています。
しかしながら、そんな自身の弓の腕前をついひけらかしてしまったがために、アポロンにとんでもない悲劇が襲いかかるのです……その詳しい模様は次の項目をご覧下さい。
【アポロンを示すアトリビュート③:月桂樹】
アポロンのアトリビュートとして、最後にご紹介したいのが「月桂樹」です。
この樹がアポロンの聖樹になった発端は、弓矢の項でふれたアポロンの軽率な行動にあります。
アポロンは、ある時エロスという神に弓の腕前を自慢し、さらには彼が持っている小さな弓矢を「そんなもの何の役にも立たないだろう」などとからかってしまいました。このエロスというのは、恋や性愛を司る――英語名で言うところのキューピッドのことです。
怒ったエロスは、相手に恋をしてしまう黄金の矢をアポロンに、そしてその反対に相手を心底嫌いになってしまう鉛の矢をニンフのダプネに打ち込みました。
ダプネを見たアポロンはたちまち彼女に夢中になりますが、いくら美青年神とはいえ鉛の矢を打たれたダプネからすれば蛇蝎のように嫌いな相手です。当然、ダプネはアポロンを拒絶します。しかしアポロンも引かない! 逃げるダプネと追うアポロン、熾烈な戦いが始まります。
しかしながら、か弱い乙女があの無駄に文武両道なアポロンに敵うはずもありません。背後に迫るアポロンの気配、やばい! もうダメ! 捕まる――そう思ったダプネは、息も絶え絶えに自分の父親である河の神に願いました。
たとえどんな姿になったとしても、絶対にアポロンの手になんか落ちたくない、と。
その瞬間、彼女の白い指先から突然瑞々しい葉が生え始め、やわらかい肌はみるみるうちに硬い樹皮に覆われていきました。そうして、呆然とするアポロンの目の前で、ダプネは一本の月桂樹へと姿を変えてしまったのです。
その有様に悲しんだアポロンは、せめて自分の聖樹となって側にいてほしいと、月桂樹の葉で作った冠を被るようになりました。
美女が樹木に変身するという、このファンタジックでセンセーショナルな物語は、昔から画題として多くの画家や注文主に好まれてきました。今回は15世紀の画家・ポライウォーロによる有名な作品を挙げましたが、彫刻作品などにも名作が多く、なかでも17世紀の彫刻家・ベルニーニの手による《アポロンとダプネ》(1622~25年、ボルゲーゼ美術館・ローマ)は、追いすがるアポロンの美しい顔や体つき、そして彼から逃げようと身を捩りながら樹木へと変身していくダプネの臨場感、躍動感溢れる肢体(とものすごく嫌そうな表情)の表現が必見の作品です。
ところで、先程アポロンの悲劇と書きましたが、よくよく考えてみると勝手に神たちの小競り合いに巻き込まれ、大嫌いな相手にストーカーされた挙句、その求愛から逃れるために樹になってしまったダプネのほうがよっぽど災難でしたね。
そして(恋の矢に射られていたとはいえ)このアポロンの非常に過激で迷惑な行動から、ますます“残念イケメン”疑惑が強まってくるのは私だけでしょうか…。
【2】ディオニュソス→酒杯・葡萄・テュルソスの杖
ディオニュソス(バッカス/バッコス)は、ゼウスとテーバイの王女セメレとの間に生まれた豊穣や酒、演劇などを司る神です。
母親のセメレはゼウスの正妻であるヘラから激しく嫉妬され、その企みによってディオニュソスをお腹に宿したまま亡くなってしまいます。ゼウスはその遺体からまだ生きていた胎児を取り出すと、自分の太ももに縫い込んで臨月がくるまでヘラから隠し育てました。その後、ゼウスはセメレの姉妹のイノに赤子を託しましたが、ヘラはこのイノまでをも発狂させて自死へと追い込みます。
こうして独りぼっちになってしまったディオニュソスは、己を爪弾きにした神々に自身の神性を認めさせようと、各地を彷徨いながら自分の信徒を徐々に増やしていきます。
アポロンと比べると、どこか影のありそうなアウトローといった雰囲気のディオニュソスですが、今なおその人気は絶大です。何故なら、彼は多くの人が愛してやまない「アレ」の作り方を発見した神でもあるから…!
【ディオニュソスを示すアトリビュート①②:酒杯・葡萄】
ディオニュソスは、諸国を遍歴するうちに葡萄の実から酒を醸造する方法を見つけ、それを人間たちに教えました。そう、「アレ」とはワインのことです。古代ギリシアやローマ、そして現在に至るまでヨーロッパの人々にとってワインは生活の一部であり、欠かすことの出来ない存在です。その作り方を伝授したディオニュソスは酒神として絶大な崇拝を集め、彼の姿を描く際には「酒杯」や「葡萄」を一緒に描き込むことが一般化していきました。
それでは、ディオニュソスを描いた作品でアトリビュートを確認してみましょう。
下の作品はバロック時代の代表的な画家であるカラヴァッジョの手によるディオニュソスです。この作品は目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
まだかなり若い、青年というよりも少年といった風貌をしているディオニュソスは、頭に「葡萄」の実と蔦でできた冠を被り、手にはなみなみとワインが注がれたガラス製の「酒杯」を持っています。重たげな瞼やとろんとした眼差し、紅潮した頬からは、この画面の人物が酒に酔っていることがさりげなく伝わってきます。今はまだほろ酔いといったところでしょうか。
これくらいの状態が、お酒を飲んでいる時間で一番楽しいころですよね。
おっと、こちらのディオニュソスは飲みすぎて限界まで吐いた後、ようやく正気に戻って始発電車を待っている時のような顔をしていますね。もはや画面の中に酒杯が描かれていないので、きっと深酒を後悔しているのでしょう……というのはもちろん冗談で、同じくカラヴァッジョの手によるこの作品は画家自身がモデルとされており、作品を制作していた当時のカラヴァッジョは重い病で苦しんでいたと伝えられています。
青白い皮膚や唇、かすかに濁ったぎょろりとした目やその下の隈など、先程の《バッカス》とはまた異なる、リアルな「病み」の表情はさすがとしか言いようがありません。
【ディオニュソスを示すアトリビュート③:テュルソスの杖】
先端に松かさ(松ぼっくり)、柄の部分に蔓やリボンのようなものが巻き付いている杖が、ディオニュソスのアトリビュートのひとつ「テュルソスの杖」です。実際にどんなものか絵画作品で見てみましょう。
18世紀後半に活躍した女流画家、アンゲリカ・カウフマンの描いた作品。画面向かって左にいる男性が持っているのが「テュルソスの杖」です。頭に「葡萄」の葉の冠も被っていることから、間違いなくディオニュソスであることがわかりますね。また、ディオニュソスの聖獣は「豹」であるため、この作品のように豹の毛皮を纏った姿で表現されることも多いです。
そして、ぜひともご紹介したいのがこの作品のモチーフになっている、ディオニュソスとアリアドネの物語です。
画面向かって右の白いドレスを着た女性がクレタの王女であるアリアドネなのですが、彼女、実は先程失恋したばかりなのです。その相手の男というのがアテナイの王子テセウス――某ドラマのタイトルにもなったこの青年に恋をしたアリアドネは、彼の怪物退治を手伝い、その後彼と共に故郷のクレタ島を出ますが、旅の途中でテセウスに捨てられ見知らぬ島に置き去りにされてしまいます。悲しみに暮れるアリアドネ。そんな彼女の前に突如として現われたのがディオニュソスでした。アリアドネを慰めた彼は、その後、アリアドネを自分の妻として神界に迎え入れました。
王子にフラれたと思ったら高名な神に見初められる……アリアドネの一発逆転劇はまさに痛快の一言です!
さて、ディオニュソスは出てきませんが、最後に同じ画家の手による、この美男美女が出会う直前の場面が描かれた作品をご紹介したいと思います。
ああ…船が…船が行ってしまう……テセウスの船が…!
本当にディオニュソスが来てくれてよかったですね!
とはいえ、ディオニュソスもまた自分の神性を認めない人々を狂わせたり、殺してしまったりと苛烈な一面を持ち合わせている神なので、アリアドネの結婚生活がちょっと心配ではありますが…。
アポロンとディオニュソスは、同じゼウスの息子でありながらそのあまりに異なる性質からか文学・芸術作品や批評などの中でしばしば対比的な存在として取り上げられてきました。
彼らのアトリビュートを覚えた後は、まだまだたくさんある彼らの神話を読んで、アポロン推しか、それともディオニュソス推しか(もしくはどっちもナシか)、考えてみるのも面白いかもしれませんね。
それでは、また次回の【アート鑑賞術】にてお会いできるのを楽しみにしています。
Kao
校閲士・美術史修士。大学在学時に旅行したイタリアでアートに魅せられ、独学で美術史を勉強し大学院に入学、修士号を取得。
趣味はアート、歴史、ファッション、旅行、ご当地テディベア集め。