ボディポジティブ~美の多様性を求め、ありのままの姿を描いた巨匠たち~
はじめに~「ボディポジティブ」って知っていますか?~
「痩せたら人生が変わる!」
「夏までにダイエットをして綺麗になろう」
「○○さんは痩せたら美人だよね」
テレビや広告、SNSなどを通じて、一日に何度もこうした言葉を目にしたり、耳にしたりすることはありませんか?
もちろん、痩せることも、そのためのダイエットをすることも健康を損なわないかぎりは悪いことではありません。けれども、こうした類いのメッセージがあまりにも過剰に繰り返されていることによって、多くの人の頭の中に「痩せている=“美しい”」という構図、価値観がすっかり根付いてしまっているように思います。
しかし、近年では欧米諸国のファッション業界を中心にこのような風潮に待ったをかける大きなムーヴメントが起こっています。
それが「ボディポジティブ」運動です。
「ボディポジティブ」というのは、社会に意識的・無意識的に浸透している既存の価値観にとらわれるのではなく、“自分の「ありのままの肉体」を愛していこう(肯定的に捉えていこう)”とする考え方です。
この流れを受け、これまで各国のランウェイを席巻してきた痩身のモデルたちの一部はプラスサイズのモデルたちに取って代わり、ブランドのサイズ展開の幅も格段に広くなりました。
今まで頑なにプラスサイズモデルの起用を拒んでいたアメリカのとある有名ランジェリーブランドも、2019年、ついにプラスサイズモデルをフロントに打ち出したことで話題になっています。
言うまでもなく、ブランドにとってモデルは自社の商品を“より魅力的に”みせるための存在です。
つまり、こうしたプラスサイズモデルたちの活躍は、ファッション業界を中心に「痩せている身体」だけでなく、「あらゆるサイズの身体」に対して“魅力”、すなわち“美”を見出すようになってきたことを端的に示しているのではないでしょうか。
また、最近では日本のメディアにおいても“デブ”や“ブス”といったその人の「ありのままの肉体」を否定する発言、所謂「容姿いじり」を問題視する気運が高まっています。
もちろん、外見に対する差別や偏見が完全になくなったわけではありませんが、そうした変化を感じ取るたびこの国もようやく「他者との差異」を馬鹿にしたり、貶めたりするのではなく、それを「多様性」として認める社会へ少しずつ向かっているのかもしれない、と感慨深い気持ちになります。
美術作品に見られる多様な“美”の価値観
このように、今や世界中に浸透し始めていると言ってもいい「ボディポジティブ」という考え方ですが、アートの世界においてはこの言葉が生まれるはるかに以前から多様な“美”の価値観が存在していました。
今回は、女性たちの「ありのままの肉体」を描き、そこに“美”を見出してきた画家たちによる元祖「ボディポジティブ」ともいえる作品を紹介しながら、「美の多様性」について考えていきたいと思います。
リアルな「ボディ」~クールベ~
フランスの画家ギュスターヴ・クールベ ( 1819-1877年)は、写実主義(リアリズム/レアリスム)を提唱し、理想やロマンを排して「現実」をありのままに画布の上に表現しようとしました。
そんなクールベは、女性たちの「ボディ」もまた「ありのまま」に描いたことで、当時のフランス画壇で物議を巻き起こしています。
それでは早速彼の作品を見ていきましょう。
作品の細部にじっくりと目を凝らしてみると、クールベが実にリアルな肉体表現をしていることに驚くのではないでしょうか。
【1】のモデルの肉体は、腹筋の上部やウエストは引き締まっていますが、下腹部の真ん中だけがぽこりと前に出ています。これは若い女性特有の筋肉と脂肪の付き方であるため、このモデルのおおよその年齢を推察することができます。
【2】のモデルは全体的に張りのある肉付きをしており、またバストもかなり上向きなのでこちらも若い女性だと考えられます。また、手首のあたりに筋肉が浮き上がっていることから、モデルの依頼を受けていない時はもしかしたら重い物を持ち上げるような仕事に就いている女性なのかもしれません。
このように、モデルの年齢や職業までもが窺い知れてしまうほど、恐ろしくリアルな「ボディ」を持つクールベの女性像ですが、こうした現実感のある肉体表現というのはクールベ以前の美術作品にはほとんど見られません。
リアルであるが故に生き生きとした魅力を持ち、あたかもすぐ隣で生活しているかのような実在感・親近感を観る者に与える、まるで「会いに行けるアイドル」のようなこれらの女性たちの姿は、クールベが画家として提示した新しい“美”の価値観であると言えるのではないでしょうか。
ちなみに、クールベの活動していた時代に評価されていたのは【3】のアレクサンドル・カバネルの作品にみられるような、およそリアルとはほど遠い理想化された女性像でした。
これは、当時のフランス画壇における「美の基準」が、人間の理想美を追究した古代ギリシア美術を起源にしていたためです。このヴィーナスのように、シミひとつない肌に余分な脂肪や筋肉の付いていない肢体、左右対照に整った顔立ちや体つきをしている肉体が美しいとされていたわけです。もちろん、カバネルの描く女性像もとても美しいのですが、クールベの女性像とは明らかに制作する上での価値観が異なっていることがわかります。
異国の「ボディ」~ゴーギャン~
続いてご紹介したいのが、ゴッホとも親交の深かったフランスの画家ポール・ゴーギャン(ゴーガン)(1848-1903年)が、タヒチの女性たちをモデルに描いた作品です。
現在もフランス領ポリネシアの一部であるタヒチが、フランスの植民地となったのは1880年のこと。それからおよそ10年後の1891年、ゴーギャンは初めてこのタヒチを訪れました。
【4】の作品はその年に描かれたものですが、手前の赤いパレオを身につけたタヒチ人の女性は、焼けた肌に青みがかった黒髪、骨太で筋肉質な体つきという、ゴーギャンの生きていた時代の欧州諸国に根付いていた「美の基準」とはかけ離れた容貌をしています。
実は、ゴーギャンはこの女性を聖母マリア、抱かれている子どもを神の子イエスとして描いています。当時のヨーロッパでは白人の姿で描かれることが当たり前だった聖母子の姿を、ゴーギャンはタヒチ人の容貌で表わしたのです。
聖母マリアは、ヨーロッパの人々にとって最も聖なる女性、非常に尊い存在です。そのため、絵画作品においてもその聖性を表現するためにとりわけ美しく描かれることが多いのですが、そんな聖母マリアをタヒチ人の女性たちの姿にしたということは、ゴーギャンが彼女たちに彼なりの“美”を見出していたと考えていいでしょう。
彼らの間には植民地の支配層と被支配層という関係性があるため、ゴーギャンの表わす価値観をすべて肯定するのは望ましくないかもしれませんが、それでもゴーギャンの作品に見られる女性たちの肉体表現からは、ゴーギャンが彼女たちの「ボディ」を異国ならではの物珍しさや好奇心で観察しているのではなく、ただ美しい存在としてごく自然に受け入れているような眼差しが感じ取れます。
ゴーギャンは母方の祖父がペルー人であり、また自身も幼少期にペルーに居住していたり、大人になってからも様々な土地を訪れたりしていたことから、おそらく同時代のヨーロッパの画家たちよりも柔軟で多様な価値観を持っていたと考えられます。
そうした、多様性を受け入れることで生まれた豊かな感受性は、ゴーギャンが画家として活躍するうえでの大きな武器であったといえるでしょう。
日常の中の「ボディ」~ボナール~
異国へ赴いて“美”を発見したゴーギャンとは対照的に、身近な女性に対して独自の“美”を見出した画家もいます。
日本美術の影響を強く受け、ナビ派の画家としても知られるフランスのピエール・ボナール(1867-1947年)は、20代後半で知り合ったマルト(本名:マリア・ブールサン)という女性を生涯に渡って深く愛し続けたことでも有名で、彼の描く女性像のほとんどのモデルはこのマルトであるといわれています。
マルトは持病があったため、一日に何度も入浴をしていたそうですが、ボナールはそんな彼女の日常の何気ない姿を繰り返しカンヴァスに描いています。絵の中のマルトの肉体は、特にポーズをとるでもなく、むしろどこかゆるりと力が抜けた「ありのまま」の状態です。
けれども、ボナールにとってはいつでもどこでも、どんな姿でも、たとえ何歳になったとしても、愛する女性の「ボディ」こそが至上の“美”だったのではないでしょうか。
プラスサイズ「ボディ」礼賛~ルノワール~
「ボディポジティブ」運動の中で、プラスサイズを肯定的に表現したり、美の多様性を主張したりする際に必ずといっていいほど登場するのが、「ルノワールが描く女性たちのような肉体」という言葉です。
この章では、「ボディポジティブ」ムーヴメントが掲げるイメージ像のひとつにもなった、日本でも絶大な人気を誇るフランス印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919年)の女性像が、一体どのような「ボディ」をしているのか、いくつかの作品を年代順に見ながら解説していきたいと思います。
ふんわりとして豊かな、光り輝く「ボディ」。ルノワール独特のやわらかく、愛らしい色彩で描かれた裸婦たちは、圧倒されてしまうほどの幸福感を身に纏っています。
晩年になるにつれ、ルノワールの描く女性像はよりふくよかなものになっていくのですが、けれどもその身体表現に「痩せている=美しい」という近年の“美”の価値観を当てはめて、「太っている=醜い」などと判断するのはいかがなものでしょうか。むしろ、のびのびとした生命力や楽園にいるかのような甘美な雰囲気がさらに増して、より魅力的で、ルノワールの“美”の価値観が存分に発揮された女性像に変遷していっていると言っても過言ではないでしょう。
これらの作品以外にも、これまで実際に100点以上ものルノワールの女性像を観てきましたが、それらの放つポジティブなパワーはまさに光の洪水のような印象でした。彼の作品の前に立つと、ただただ幸せな心地になり、あたかも“どんな「ボディ」にだってそれぞれの美しさがある”と絵画が語りかけてくれているかのような気がしてくるのです。
こうした、ルノワールの作品から溢れ出す幸福感と観る者を包み込むような肯定的なエネルギーは、貧しい生活の中で画家を志し、常に周囲の人々との繋がりを大切にしながら画業を続けてきた、ルノワールの人間愛の賜物なのかもしれません。
おわりに~あらゆる「ボディ」が美しい!~
このように、「ボディポジティブ」という言葉が叫ばれるようになる以前から、アートの世界では多様な“美”の価値観が存在していました。
筆者である私自身も、中学生の頃から「痩せていることが“美しい”」という考えにとらわれ、そのために無理なダイエットを繰り返してきましたが、大学院に進んで芸術学を学び、世界中の美術館や作品集で多様な“美しさ”に触れていくうちに、次第に「ボディ」に対するマインドが変化していきました。
どんな体型でも、肌の色でも、年齢も性別も関係なく、あらゆるものに美しさは宿る――これがアートを通じて得た、最も重要な学びのひとつだったのかもしれません。
そして、そうした“美”の価値観だけに留まらず、色々な物事の「多様性」を理解し、受け入れられるようになれば、自身の心の豊かさを育めることはもちろん、これから目指していく「多様性のある社会」でのさらなる活躍へと繋がっていくのではないでしょうか。
Kao
校閲士・美術史修士。大学在学時に旅行したイタリアでアートに魅せられ、独学で美術史を勉強し大学院に入学、修士号を取得。
趣味はアート、歴史、ファッション。