【書籍紹介】 『新ジャポニズム産業史1945-2020』 マット・アルト著 「ファンタジー・デリバリー・デバイス」とクリエイターの物語。
日本の文化、中でもポップカルチャーは「クールジャパン戦略」という国の戦略となっています。内閣府の「クールジャパン戦略」をここでどうこういうつもりはありませんが、日本の文化の海外輸出と与えた影響は大きなものです。
マット・アルト著 『新ジャポニズム産業史 1945-2020』ではそんな日本文化、製品を戦後から現代に至るまでの約75年間の歴史背景を踏まえつつ、海外でヒットした日本製品を通じて論じています。
原題は『Pure Invention: How Japan’s Pop Culture Conquered the World』。
2020年6月にアメリカで発売になった書籍は、その1年後の7月に『新ジャポニズム産業史 1945-2020』として日経BPより発売になりました。アメリカ生まれの著者マット・アルト氏が自身のアメリカでの体感を時折交えつつ、日本に住んでからは丹念な取材も行った力作です。
「日本の劇的な生まれ変わりの物語だ。この物語は、文字通り地球規模の影響力を持つ超弩級のプロダクトを通じて語られる」
「ものすごくすてきでヘンテコでなぜかどうしても欲しくなってしまうアイテム、たとえばウォークマンやゲームボーイやハローキティは、ただのヒット商品の枠を超えている。こうしたアイテムは、生活の一部になるにつれて、東京でもアメリカの田舎町でも人々の好みを変え、夢を変え、ついには現実まで変えていく。」
『新ジャポニズム産業史 1945-2020』より
著者はこの魅力的なアイテムの数々を「ファンタジー・デリバリー・デバイス」(空想力・想像力起動装置とでもいおうか)と名付けます。
アニメもゲームも漫画もカラオケもカワイイもウォークマンも単なるヒット商品ではありませんでした。ファンタジーは生活の一部となり現実となる、そんな素敵な装置、それが「ファンタジー・デリバリー・デバイス」だというのです。
著者は「ファンタジー・デリバリー・デバイス」となる条件をつけています。
1. Inessential (生活必需品ではない、不必要なもの)
2. Inescapable (避けられず、虜になってしまうもの )
3. Influential (世界の人々の日本に対する考え方、いわゆる「日本観」までも変えてしまうほどの多大な影響力があるもの )
興味深い切り口です。
わかりやすい例として、たとえば車は人を虜にしますが、必需品といえますからあてはまりません。
また、ビデオデッキは1と2の条件を満たしますが、世界の人々の日本観を変えたとはいえないので、あてはまらないと説きます。
ここで著者の取り上げた数々の商品は、単なるヒット商品ではなく、ヒット商品の域を大きく超えたものなのです。世界中の国の人々に良きにしろ悪しきにしろ、大きな影響を与え、ときには政治的な部分にまで影響を及ぼす。そんなとてつもない力を持っているというのです。
具体的には、2部構成9章立ての目次を見て頂いた方がわかりやすいと思います。
第1章 ブリキの玩具――小菅のジープ
第2章 アニメ誕生――アニメ 1963年
第3章 みんなスターだ――カラオケマシン 1971年
第4章 かわいい――ハローキティ 1975年
第5章 持ち歩く音楽――ウォークマン 1979年
第6章 女子高生王国――スクールガール文化、世界へ
第7章 アニメ新世紀――オタク
第8章 世界を虜にするゲーム――ファミコン&ゲームボーイ
第9章 反社会的ネットワーク――2ちゃんねる
日本人ではなくアメリカで生まれ体感し、感性に大きな影響を受け、冷静に分析していくアプローチは日本国内の類書とはまた違った視点だと思います。
これら「ファンタジー・デリバリー・デバイス」とほぼ同時代を生きた私としては、書き綴られるワードにリアルタイムで心躍らされていた頃の気持ちや若干の郷愁を持ちますが、これまでの歴史と実績を読むことで未来を解くカギになるのではないかと思います。
日本発「オタク文化」と括るには広すぎますが、既に世界を巻き込んだ日本の文化を見ると、なるほど「ファンタジー・デリバリー・デバイス」という言葉がしっくりくるのです。
「僕は15歳のときに、ワシントンの古びた映画館で初めて『AKIRA』を観た。」
『新ジャポニズム産業史 1945-2020』より
アートシアター系の映画館でひっそりと公開された映画を観ていた若き著者の話に触れ、ほぼ同時期に日本で私が書いた雑誌記事の一コマを思い出したのでここで少し脱線してみましょう。
1980年代も終わりの頃、私は日本の雑誌(ダイヤモンド社刊行『DIAMOND BOX』1989年12月号)で、「漫画の英語版で英語を勉強しよう」という実際に役には立ちそうにない特集に関わっていました。日本漫画がアメリカで翻訳出版されていく黎明期の頃の話です。
『AKIRA』のフルカラー版がアメリカでヒットしたのが1988年。フルカラー版は国際版として、日本語から英語へ、更に英語から日本語への対訳ブックレットをつけた形で逆輸入することにもなりました。映画の公開は1989年のクリスマスなので、漫画出版の方が早かったのです。
この逆輸入版で日本語→英語→日本語という二重翻訳とでもいうか、今思うと不思議な翻訳を手掛けたのは黒丸尚氏でした。
日本語から英語に翻訳したのがトーレン・スミス氏。氏は80年代の日米間のオタク仲介や漫画翻訳で活躍され、ガイナックス制作のアニメ『トップをねらえ!』のキャラクター、スミス・トーレンの名前のモデルですね。
黒丸氏もトーレン氏も若くしてお亡くなりになっています。R.I.P.
同時期、劇画『子連れ狼』の正規英語翻訳版が出版されます。VIZコミュニケーションとサンフランシスコのエクリップス社ではほぼ隔週で翻訳漫画の出版をしていましたが、本格的に拡大するのは1999年のポケモンブームからです。更に2000年に入ると、日本の漫画雑誌(『少年ジャンプ』など)やアニメ専門誌(『Newtype』など)が創刊されていきます。これも大きな波のひとつでした。
アニメについては90年代にパイオニアLDCを中心に、アメリカの各地で春から秋にかけてコンベンションに出展し、努力していたことも抜きには語れないと思います。また、レンタル中心にアニメコーナーが増え続けた時期がありました。レンタルビデオの衰退とともになくなりましたが、現在は配信サービスで日本のアニメは目玉のひとつとされています。
閑話休題。
この本で書かれている日本文化の歴史、輸出文化、時代背景、ソフトパワーは、とても身近なものです。
この原稿を書くにあたって、著者のマット氏とのやりとりの中から拾った言葉をまとめとします。
「昔、日本はとても異国風のエキゾチックな存在でしたが、現在(世界各国で)とても馴染みのある存在」となった。
それは「海外の若者と日本の若者の趣味がシンクロした、ということです。以前だったら、大正時代に設定した妖怪ものである「鬼滅の刃」は海外では絶対に通じませんでしたが、ほぼ同じタイミングで世界的なヒットとなりました。受け入られたのは、欧米人がほぼリアルタイムに日本産漫画・アニメ・ゲーム・小説を消費しているからです」
そして、
「日本はものづくりの国から、夢づくりの国へと進化した」と続けます。
世界中の人々が日本生まれの「ファンタジー・デリバリー・デバイス」を手に入れることによって夢見る状況は、まさに「クール」な日本といえますが、その「クール」は更に進化をしていると著者は言います。その進化、大きな影響力は一種のカリスマ的なものへと進化をしているようです。どの国の未来にも、日本的な価値観が多かれ少なかれ入り込むだろうと。
世界は夢見る人であふれている。メイドインジャパンの夢を。
『新ジャポニズム産業史 1945-2020』より
著者の結びの言葉は、日本人の未来にとっても興味深いものでした。
この変化・進化・深化は、まだまだ続くことだと私も思います。
アメリカ生まれの筆者が、アメリカで日本製の文化を体験し、日本人の奥様と結婚され、日本に住むようになり、アメリカと日本双方の文化的背景を知り、日本のゲームや漫画といった製品をローカライズさせる仕事に20年以上携わったからこそ出来た書籍は、普段身近に接している日本のモノの歴史と世界への影響を広く知る楽しさのつまった一冊です。
『新ジャポニズム産業史 1945-2020』
マット・アルト(Matt Alt)プロフィール
1973年、ワシントンDC生まれ。ウィスコンシン州立大学で日本語を専攻。アメリカ合衆国特許商標庁にて翻訳家として勤務。現在はローカライゼーション会社の株式会社アルトジャパン取締役副社長。
現在「シリーズ妖怪幻燈」の妖怪漫画家、森野達弥氏がイラストを描いた『Yokai Attack!: The Japanese Monster Survival Guide(妖怪アタック!:外国人のための妖怪サバイバルガイド)』(Tuttle Publishing, 2008)、『Ninja Attack!: True Tales of Assassins, Samurai, and Outlaws(忍者アタック!:外国人のための忍者常識マニュアル)』(Tuttle Publishing, 2010)、『Yurei Attack!: The Japanese Ghost Survival Guide(幽霊アタック!:外国人のための幽霊ふれあいガイド)』(Tuttle Publishing, 2012)などを手掛ける。
株式会社アルトジャパン
出版業界の片隅を振り出しに昭和・平成のおたく系出版社・編プロ・webマガジンなど紆余曲折を経て、令和を生きる編集・ライター。焼肉には「幸せ細胞」を活性化する何かがあると「肉の会」という集まりを開き、そこで才能あるひとたちのコラボを見るのが好き。コロナ禍ではなかなか会えませんが、おじさんももう少しがんばります(笑)。
(イラスト/近藤ゆたか)