またやっちゃった!ミスや失敗から学ぶ5つの教訓
「まぁ、人間のすることだから、仕事にミスや失敗はつきもの」━━━そう簡単に言ってもらっては困ります。
ミスの結果が重大な事故につながるケースでは、謝って済むことではない場合が多々あります。交通や医療などの現場で、ミスが人命に直結するケースは象徴的です。
人命にかかわるとまではいかなくても、多くの人に迷惑をかけたり、不愉快な思いをさせたりするミスは、どんな職業でも起こりえます。
いちばん大事なことは、ミスや失敗を事前に予防する措置を講じておくこと、というのは当たり前です。
ですが、そうはいっても、100%ミスを回避するというのは、やはり無理です。これも真実です。
“弘法も筆の誤り” “猿も木から落ちる” ノーミスの人間はこの世にはいません。
ただ、人間はミスをしますが、またミスから学ぶことができるのも人間です。では、図らずもやってしまったときにはどうすべきか? この心構えをしておくことは、とても大切です。
1. 自分のミスに気付いたらすぐに公表すべし
これって当たり前のことのようですが、じつは案外難しいのです。大企業の役員から官僚や政治家まで、世のエリートといわれる人たちが、あまた不祥事を隠蔽し、知っているはずのことを知らぬと言い張る姿を、わたしたちは繰り返し見てきています。
たしかに隠蔽し通せるのであれば、隠蔽するという選択肢にも、それ相応のメリットがあることは確かです。不謹慎と思われる方もいらっしゃるでしょうが、ここでは倫理の問題はひとまず置いておいて、ドライにメリット・デメリットで考えてみます。
隠蔽することにメリットがあるミス、つまり隠し通せるミスとは、どんな場合でしょう?ひとことでいうと、結果として影響の小さい(ない)ミス、ということになります。この世は、結果オーライです。結果に影響がなければ、誰も問題にしませんから、ミスを隠蔽することには合理性があります。
簡単な例を挙げれば、車の運転中にハンドル操作を誤った、けれども結果として何も起こらなかった。まぁ友達に話せば笑い話にはなりますが、これを警察へ届けても、おそらく取り合ってももらえないですね。
ところが、同じようなハンドル操作の誤りでも、結果として歩行者にケガをさせてしまった場合はまったく意味が違います。おわかりのようにミスというのは、ミスそのものの種類ではなく、その結果によって大きく左右されます。本人がちょっとしたミスと感じても、結果が重大であれば、それは重大なミスなのです。
つまり多くの人がつい隠蔽に手を染める原因のひとつが、ここにあるような気がします。結果の重大さが予測できずに、たいしたことではないと判断してミスを隠してしまう。まさに「ミスを隠蔽する」という”判断ミス”をしてしまうのです。
もちろん結果の重大さがちゃんと分っていて、分っているだけにヤバイ!と思って、つい隠してしまったというケースも多々あるでしょう。これは悪意があるのか、気が小さいのか、厚顔無恥なのか、いずれにしても確信犯なので、気構えの問題です。
メリット・デメリットからいえば、ミスに気づいた段階で、すみやかに公表し、しかるべき対処をするほうが、隠していて後に発覚するよりダメージが少ないことは明らかです。なぜかというと、隠してしまうと、”隠したという事実”に他者は必ず悪意を読み取ります。ミスだけなら悪意までは読み取らないでしょうから、はやくに公表すれば、すくなくとも悪意はなかったと見なされます。
ちょっと難しいのが、さきほどの「結果の重大さが予測できなかった判断ミス」の場合ですね。本人は悪意をもって隠したつもりはなくても、結果が重大である場合は、なかなか言い訳をするのが苦しくなります。ミスと結果のあいだに相当な因果関係があれば、「予測できなかったから黙っていた」では他者を納得させられないでしょう。
結論として、ミスを犯したことに気付いたときはどうすべきか?「すみやかに公表すること」、これが鉄則です。少なくとも隠蔽し通す権力を持たない者は、この鉄則を守ったほうが安全。これは心構えの問題です。
もうひとつ重要なことは、結果の予測能力をつけることです。これは理解力の問題ですね。結果が見えなければ、なんでもかんでも公表すればいいではないか?そう思う人もいるかもしれません。でも、どうでもいいようなつまらないミスを、そのたびに上司に報告に行ったりしていると五月蠅がられることは間違いありませんからね。
2. 影響のある関係者に、すみやかに謝罪すべし
ミスに気が付いたら、それが影響を及ぼすであろう関係者に、できるだけすみやかに報告し、謝罪をすることが大切です。たとえ申し訳ないという気持ちがあっても、黙って放置していたら、それは他者から見れば隠していたのと同じことだからです。
「隠す=悪意がある」ということです。他者から悪意を疑われないためには、その前に、先に自分から報告し、謝罪をしたほうがいいことはいうまでもありません。そのミスによって、迷惑を被るであろう関係者を洗い出し、できるだけ謝罪をするのがベターです。
謝罪をすると責任を認めたことになるので、安易に謝罪しないほうがいいということを言う人がいますが、ここは日本です。迷惑を掛けるかもしれないことを、まず謝罪するのがこの国の人間関係のマナーです。謝罪したから責任があるなどというルールは日本にはありません。(なので、国際関係の場合は別です)
3. ミスの結果には、誠意をもって対応すべし
ミスの内容やその結果にもよりますが、謝罪だけではなく、なんらかの具体的な対応が必要な場合には、誠意をもって対応するのが鉄則です。
たとえば、よくある印刷の表示ミス。刷り直しが間に合わないが、シール貼りなら可能だという場合、一人で全部できるわけではないにしても、自分もそのシール貼りに参加したほうがいいのはいうまでもありません。
もちろんいずれの場合も、会社等の組織の場合は、上長に真っ先に報告し、その判断と指示を仰ぐことは当然です。自己判断で勝手に動いてはいけません。よかれと思って勝手なことをすると、かえって傷を大きくするというのは組織の常識です。
4. ミスが起こったら、原因を究明すべし
いわゆる犯人探しとか、責任の追及とか、そういう意味ではありません。すでに起こってしまったミスについて、厳しい責任追及をしてみたところで、合理的なメリットはありません。
むしろ必要なことは、再発の防止です。そのためには原因の究明は避けて通れません。もし明瞭な原因が見つかったとしたら、その原因を取り除く工夫をすれば、次から同じミスを起こさないようにすることができます。
ただしミスというのは、大方は”うっかりミス”が多いので、直接的な原因は注意力の低下というような曖昧な話になることも多いです。その場合は、「なぜ注意力が低下したか?」という遠因をきちんと把握すべきです。
つまり注意力が低下したのは、なんらかの環境因子があったのではないか?と疑ってみることです。同じ作業を長時間ずっとしていたとか、作業部屋がとても騒々しかったとか、誰かが頻繁に声を掛けて注意を逸らせていたとか、もっとほかの要因も考えられるでしょう。ミスの要因を分析することは、とても大切です。
5. ミスの体験は、みんなで共有すべし
ミスが起こったら、原因究明とともに、必ずやるべきことはミーティングです。原因究明で、取り除くべき明確な原因が見つかることは少ないです。むしろ、はっきりこれが原因だとは言い切れないことの方が多いです。
取り除くべき原因が明瞭に特定できないのであれば、問題を共有するということが、もっとも有効な再発防止手段になります。環境因子のようなものは、そうそう完全に取り除くことはできません。たとえば狭い部屋が、マイナス効果を及ぼしているとしても、それをすぐに広い部屋に変えるわけにはいきません。
でも、人間というのは柔軟性や適応性のあるものです。もし狭い部屋がマイナス効果を生んでいるとするなら、多少なりともその要因を意識的に捉えることで、マイナス効果を和らげることができます。部屋が広くはならなくても、ちょっと什器の配置を変えるだけでも、効果がある場合もあります。
ようするに現場にいる全員で、問題を話し合い共有することが大切です。たとえば人間には、向き不向きということがあります。適材適所の配置になっていないことが、ミスの遠因ということもあります。みんなで気を付けようという意識ももちろん大事です。さらに問題を共有することにより、それまで気が付かなかった改善点を見つけることもできます。
岡崎 聡
株式会社ダンク 取締役社長。フリーランスでの編集・取材カメラマンなどを経て、1994年より株式会社ダンクに所属。以来約20年、流通チラシや通販カタログを中心に、校正、進行管理、クライアント対応などに携わる。趣味は旅行、日本各地を飛び回ること。