インテリジェンスとユーモア、井上弘治氏に訊く ー『かなわぬ恋の構造』刊行記念インタビュー
「ダンラク」を運営するダンクグループの経営者であり、詩人としての顔をもつ井上弘治氏。2021年5月31日に、井上氏が1970~90年代に書き綴った評論・エッセイ集『かなわぬ恋の構造』が発売されました。
「ことばの構造が何かを見つけさせてくれるような期待感」(あとがきより)には、その時代時代の空気や匂いをまとっています。
そのような、インテリジェンスとユーモアをもつ詩人・井上弘治にお話を伺いました。
【プロフィール】
井上弘治(いのうえ こうじ)
1953年12月生まれ。東京都出身。法政大学・日本文学科中退。ダンクグループ代表取締役。著書に『月と遍歴』(七月堂)、『月光懺悔』(midnight press)、『ムーンライト・ラスト』(前同)、『約束』(前同)がある。
ーー井上先生、この度は『かなわぬ恋の構造』ご出版おめでとうございます
先生ってのはやめてくれよ、恥ずかしいからさ、銀座じゃないんだから(笑)。
ーー本日はよろしくお願いいたします
この本を改めて読んだとき、2、30年前の友人に逢ったような感じがしてさ。
原稿整理しながら読んでいると、今の自分の文章と全然違うな、と感じたよ。会社経営をしてきて、嘘つきになっちゃったのかな(笑)。経営者として先導(船頭)をとるのに、「みんなで頑張りましょう」っというのは当たり前のことだけど、なんか嘘っぽいよね。やっぱり個人が頑張ってくれないと。
例えば、読書体験を通して自分の中の他人が目覚めて、こう考えているけどどう思う?って聞けるぐらいの自分自身がいなければいけない。
よく言われることだけど、会社はある種ファミリーみたいなもの。他人同士が集まって共同作業してこの過ごせる「場」があるということはすごいこと。“何かが生まれる”っていうのは、「場」がなければ生まれないと思う。
ーー詩との出会いや、きっかけなどお聞かせいただけますか
いろいろ思い出してみると、五つか六つの時に、ラジオで水原弘の「黒い花びら」※という歌を聴いて。
歌詞が「黒い花びら 静かに散った~」で最初、「黒い花火が 静かに散った~」と歌詞が「花火」だと思っていたの。そのころ花火大会が盛んに行われていた時代だから。「あ、黒い花火が静かに散るんだ」、黒い花火ってどういうものだろう、と。のちに「黒い花びら」という歌詞と知るんだけども、花びらの黒も、花火の黒も考えられないけど、その言葉のもつイメージにすごい衝撃を受けたよ。
小学校では詩を書く授業があって、先生に「どう書けばいいんですか?」と聞いたら「見たままを書きなさい」と言われた。だから教室の窓から見える富士山を見たまんま書いたの。そしたら、先生が詩を誉めてくれて、詩って見たまんまなんだなと思ったよ。
中学生のある日、ちっちゃな蜘蛛が鉛筆の上で動いていて、それを見たとき「あ、これ詩だ」と。それで、その光景を見たまま書いたらその詩が(コンテストで)選ばれた。何か書くということはそれを他人が見てくれて、さらに評価されるんだなって子供心に思ったんだよね。でも本当は見たままほどおそろしいことはないよな。
※1959年に発表された水原弘のシングル。第1回日本レコード大賞の受賞作品。作詞:永六輔、作曲:中村八大。
ーー子供のころに評価された経験はきっかけになりますよね
それが多分きっかけかな。
大人になってからはそう言ってほめてくれる先輩や先生が少なくなってきてね。
ーー学生生活はどのように過ごしていらっしゃいましたか
中学生の頃は漫画の同人誌を作ったり、青年漫画のガロやビッグコミックが出始めたころで、漫画おもしろいなって。
不思議なことに、単行本で長編の漫画を読み始めたら、国語の成績があがって。そのあとには、数学がトップになった。(問題を)解くプロセスが国語と一緒なんだよね。国語力って大事だよね。
高校卒業後は親に就職しろといわれて。でもその頃いろいろな事件に遭遇して、まともな人生を歩むことが急にいやになってさ。大事な友人が自殺未遂をする姿もみて、いい意味で自分の中の他人が汚されるわけだよ。今までは人目を気にしながら生きてきたけど、違うな、自分の中に他人はいるんだなと。
結局就職はせず大学に進んで、その頃も本だけは読んでいたな。
ーー本を読まないと言葉も知らないし、言葉を知らないとコミュニケーションにもならないですよね
『ノンちゃん雲に乗る』の作者石井桃子さんが晩年、「今、本を読みなさいよ。今、読んだ本が10年後に生きてくるから」と仰っていた。
こういうメッセージをもっと若い人たちに届けたいよね。何歳でも遅くないから、どんな本でも読んでほしいよ。そうすると世間の仕組みや人間の構造とかが見えてきて、それって楽しいもん。
ーー30代に詩から離れていた時期がおありだったようですが、どのような感情の変化で戻ってこられたのですか
1979年に2つの評論を書いて、名前が知れてきて「詩を書かない?」というお話が来ていた時期に、一緒に生活していた彼女ががんで亡くなった。
彼女も詩人で氷見敦子さんという方なんだけど、亡くなったあと思潮社から『氷見敦子全集』が出版された。でもその制作メンバーからおれは外されたんだよ。彼女のために特集号の雑誌を作ったんだけどそれも批判されて。そういう出来事や人間関係(特に詩を書いている人たちとの)があって自分自身も詩を書くことが面倒くさくなってしまった。
そんな時に『かなわぬ恋の構造』でも出てくる、瀬沼孝彰という友人から「そんなんじゃだめだから、俺の詩集の解説書けよ」と言われた。
そこで久しぶりに詩を読んで、解説を書いたら少しずつ詩に対する情熱が出てきた。だからきっかけをくれた瀬沼孝彰は大切なある意味でおたがいの人生の目撃者としての友人なんです。
この本の出版にあたって、映画監督の小栗康平さんからも「相変わらず面倒くさい難しい文章で思わず微笑んじゃったよ」とすぐに手紙が来て。最後に「一番よかったのは瀬沼孝彰さんへの追悼文がよかった」という内容のいい手紙をいただいたよ。
ーー私も『かなわぬ恋の構造』拝読しました。こちらの一節は流れるような文章なのに心をかき乱されるような感情を抱きました(P48過ぎゆく恋愛──金子千佳『婚約』より)
この節を読んでいるうちに、きっとリズムに惑わされちゃって。ふと気が付くと(この文は)何を言っているんだ?ってなるでしょう。
知らないうちに、言葉を読んでいるんじゃなくてこの、リズムを読んでいる。
素晴らしい物語や映画でも、終わってしまうのがもったいないと思うことはあるよね? 映画を見始めたときは、映像を観て音を聴いて、でもそのうちに映画の物語性に没頭してくる。そうなると距離も音も台詞も消えていくんだよ。本も初めは言葉を追っているけれど、そのうち言葉がなくなる。
私は「言葉で言葉を消す」というけれど、優れたものは材料が消えていくってことだよね。意味とかも消えて、残るのは糸なんだよね。
ーー言葉の意味が消えて、糸が残る・・。とても深いです。先生が詩人と名乗りだしたのはいつ頃からですか
詩集も4冊出して周囲は皆「詩人」って言うけど、自分では一度も「詩人」と名乗ったことはないよ。
多くの詩人たちと交友関係はあったけれど、フリーランスで文章を書いているだけだったから。でも、出会いや縁というのはね良きにつけ悪しきにつけ大事だよね。いろんな人と会って、いろんな話をすることは大事だと思うよ。
ーー詩人と名乗ったことはないとは驚きました
明治近代以降から「詩人」について語らないとダメだと思うし、よくわからないね。でもかっこいいよね、詩人て。
荒川洋治という詩人がいて彼は、「現代詩作家」と名乗っている。荒川さんの一種のテレだと思うけれど私は賛同しているよ。
ーーミドル世代へメッセージや悩みについてアドバイスなどいただけますか
人は悩んじゃいかん、もし悩んだら『かなわぬ恋の構造』読んでください(笑)。
でも本を読んで変わっちゃったというのは結構あって、一番面白かったのはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』。
高校時代に寝ないで読んだよ。まだ多感な思春期だったけど「なんだこれ?」と思ったね。そして読み終わった後、自分が変わったよね。
一方で、最近再評価されている石坂洋次郎という戦後の大衆文学の作家の『青い山脈』や『陽のあたる坂道』という小説。
これを読んで「人生逆転ってあるな」、何か頑張ればできるなと思った。それで勘違いして、友人の彼女を取ろうと思ったらひっぱたかれて、逆転なんてないなと思った(笑)。
ーー青春時代の貴重なエピソードありがとうございます。
最後に「詩」とはどういうものなのでしょうか
自分の感受性の構造ってぼやけたものでしょ?
例えば写真を撮る、絵を描く、音楽を作るにしても、ぼやけている感情を言葉などで表現し、言葉で造形していく。物語を作ったり詩を書いたりするということは「流れている時に棹さす」こと。
つまり「時という制度を逆流させる」わけだよ。表現するということはセンチメンタリズムだよね。悲しいことなんだよ、基本的には。だけど悲しいっていっても形にはならない、それをどうするかっていうのが詩じゃないかな。
「詩」というものは、暴走する感受性をうまく飼いならすためにあるのかもしれない。
そして、ある詩人も言っているけれど「詩は怒り」じゃないかな。
ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。
【おわりに】
人間の根源の魂をゆさぶるもの、それは芸術―絵画や音楽、そして文学―詩もそうでしょう。
「詩人(もまた)職業にあらず、生き方なんですね」と伺うと、
井上氏は「そういう言い訳みたいなこと言ってる奴ばっかりだったからね」と微笑んでいました。たくさんのダメな人も見てきて、さらに人格者にも出会ってきているんだろうな、とつくづく感じさせられます。
「他者とは何か」「恋愛」「生と死」……。いつの時代も人間の本質の問いは変わらないのかもしれません。『かなわぬ恋の構造』には新しい発見や心に残る「ことば」が必ずあると思います。
<書籍データ>
『かなわぬ恋の構造』井上弘治 著
2021年5月31日 発売
四六判 272ページ
ISBN 978-4-909646-41-5
定価 2,200円(税込)
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(イラスト/直井武史) 藤原邦彦 a.k.a ドクトルF
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