【視点の探求】~怪物にされた美少女~
人間の目は、案外「隅(すみ)」が見えていない。
だが、それも仕方のないことかもしれない。
たとえば、舞台では主役に最もスポットライトが当たるし、
広告は一番伝えたい言葉や画像に目がいくようにデザインされている。
つまり、私たちの視点は注目してほしいものへ〝誘導〟されていることが多いのだ。
けれども、よくよく「隅」に目を凝らしてみると、
そこには主題を引き立たせる驚きの工夫や懸命な努力、
主題とは異なる作り手自身の主張、
あるいは遊び心などを垣間見ることができる。
それはちょっとヒミツめいていて、
そして作り手と受け手がより親密な関係になれる、
もうひとつの世界と言えるかもしれない。
私たち校正者の仕事は、作品や制作物をくまなくチェックすることだ。
そのためには、全体や中心だけでなく
「隅」や「部分」、「周囲」などに対するこだわりが欠かせない。
このシリーズでは、一般的に見落とされがちな
「隅」「部分」「周囲」などに視点を置き、
新しい切り口で作品や制作物の魅力を再発見していきたいと思う。
ルーベンス《アンドロメダを救うぺルセウス》
◆ルーベンス最後の作品
《アンドロメダを救うぺルセウス》
(1639-41年、油彩/カンヴァス、223×163㎝、マドリード、プラド美術館)
さて、今回ご紹介するのは、昨年2018年2月~5月に
上野の国立西洋美術館で開催されていた「プラド美術館展」に出品されていたこの作品。
作者は17世紀前半に活動していたフランドルの画家、
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640年)。
ちなみにこの作品は彼の絶筆とされ、
その死後、ルーベンスから多大な影響を受けていた同地域の画家、
ヤーコブ・ヨルダーンスが完成させたといわれている(ただし、その関与は最低限のものだったらしい)。
この作品はギリシャ神話の英雄・ペルセウスが、母親の傲慢な発言により神々の怒りを買い、海の怪物の生贄となった美女・アンドロメダを救い出す場面を描いている。
(アストロディスクマガジン 「スタークリック!」ホームページより)
題材自体はペルセウスの冒険譚の一部で多くの画家が描く画題であり、作品の「中心」、最も目を引く対象とされているのは、いままさに囚われの身から解放されているアンドロメダだ。
暗く抑えられた色味の画面は内側から輝いているかのような彼女の白い肌を引き立て、
またペルセウスの硬質な厳めしい甲冑姿もアンドロメダの女性的で柔らかな肢体をより際立たせている。
アンドロメダの透明感のある美と、その圧倒的な存在感。
動的でありながら重厚感と高貴さを湛える肉体表現はもちろん、
巧みな構図や洗練されたタッチに至るまで、
この女性像には晩年のルーベンスの技量が遺憾なく発揮されていると言っていいだろう。
もうひとつの視点
それでは、次に別の視点からこの作品を見てみよう。
のちに夫婦となる画面中央の二人から「隅」のほうへと目をやると――
アンドロメダの足元に、1枚の盾が描き込まれていることに気づく。
この盾によく目を凝らしてみると、表面に無数の蛇が這っているのがわかる。
そして、それらはすべて盾に貼り付けられたひとつの首から〝生えている〟。
そう、実は、これらの蛇たちは「髪の毛」なのである。
世にもおぞましい蛇の髪を持つ、この醜悪な怪物の名前はメドゥーサ。
ゴルゴン三姉妹の一人で、
かつては知恵の女神であるアテナと美を競い合ったとも、
海の神ポセイドンの愛人であったとも言い伝えられている美少女であったが、
神々の怒りに触れたため、
その姿(瞳)を見た者を石に変えるという怪物にされてしまったのである。
そんな怪物メドゥーサは、英雄ペルセウスによって退治される。
そして、ペルセウスはその石化の力を利用するため、
メドゥーサの首を己の盾へと貼り付けたのである。
ルーベンスが英雄に救い出される美女の足元へと描き込んだ、この醜悪な怪物の首。
一般的にはこれもまた「中心」のアンドロメダを引き立たせるための効果のひとつだといわれている。
だが、メドゥーサも以前はこのアンドロメダのような美少女であったという背景を知ると、怪物とも物体ともつかぬ姿に成り果てたその姿はあまりにも哀れに見えるのだ。
神の怒りに触れた人間のうち、“救われた者”と、“救われなかった者”。
両者に一体どんな違いがあったというのだろう。
そして、ただぽかりと開いている光の宿らない瞳の奥で、
メドゥーサは一体何を想っているのだろう。
ルーベンス作品の「隅」に潜んでいるのは、
二人の美少女を否応なく巻き込んだ、
神という存在に象徴される〝絶対的な力〟への疑問や憤りなのかもしれない。
Kao
校閲士・美術史修士。大学在学時に旅行したイタリアでアートに魅せられ、独学で美術史を勉強し大学院に入学、修士号を取得。
趣味はアート、歴史、ファッション、旅行、ご当地テディベア集め。