【第1回】落語との出会い舞台への憧れ 落語家 立川志の太郎(全4回)
普段接することのない職業のミドル世代(30~40 代)の方々から、なぜその仕事に就いたのか、その世界の独特の慣習やルール、何を考えて、何を目指しているのかを伺っていきます。
若さだけで突っ走る 20 代とは違う、責任も増え、かといってすべてを自分で決められるわけではない中間で仕事をする、私たちミドル世代にとってヒントや希望、刺激もあります。しかし、住む世界が違ったとしても、人間の生業(なりわい)です。厳しい現場も多くありますが、もっと前向きに、もっと楽しく、そしてプロとしての自覚を持つために、 なかなか出会えない人物や言葉を記録していきます。
今回お話を伺うのは、落語家・立川志の太郎さん。
ひとことで「落語家」といっても、その世界には階級があります。多くの人が目にする落語界のトップ階級・真打はいうなれば、会社組織の社長や役員にあたるでしょう。そこにいたるまでには、まず、見習い・前座から二ツ目へと昇り、そして真打へ。そこで今回は上(真打)を目指して働くミドル世代、二ツ目・立川志の太郎さんに、落語の世界に生きる熱い思いを語ってもらいました。
※二ツ目・真打:落語家の階級。見習い・前座修業を終えると二ツ目へ昇格。入門から15〜16 年前後で落語界の最も高い階級・真打となる。この階級で「師匠」となり弟子をとれるようになる。
【プロフィール】
立川 志の太郎(たてかわ しのたろう)
落語家。
1985 年生まれ。埼玉県ふじみ野市出身。
落語立川流・立川志の輔の六番弟子、二ツ目。2010 年に立川志の輔に入門、2020 年落語家生活 10 周年を迎えた。落語家としての活動はもちろん、役者やナレーターなどマルチに活躍。 「立川志の太郎落語会」(2020 年 8 月は無観客配信にて開催)、日本テレビ『はじめてのおつかい』ナレーション担当、2020 年 8 月~9 月放送 NHK-BS プレミアムドラマ『すぐ死ぬんだから』出演、「YouTube トキワ荘(企画 相田毅)」では関ジャニ∞の『大阪ロマネスク』を題材に新作落語を発表。
―本日はよろしくお願いします。
まずは、落語家になられたきっかけについて教えていただけますか?
小さい頃から、人前に出ることは好きでした。でも、「喋る」ということに関しては好きではなかったんです。
そもそも、僕は小学生のころから音楽が大好きで、「将来はミュージシャンになりたい」と思っていました。親の影響で、桑田佳祐さんの音楽に出会ってファンになり、そこからは寝てもさめても音楽でしたね。中学からはギターを始めて、大学時代は、ライブハウスで歌っていました。
しかしコレがね、お客さんは集まりっこないし、絶対的に才能ないんだな、と。曲は作れないし、詞は湧いてこない。もっと才能のある人はいる。もっと本気の人は沢山いる。自分はただただ音楽が好きなだけなんだ。と気が付きました。
―そうなんですか。ではなぜ落語の世界へ?
そんな日々を送っていた大学3年生の時に、留年が決まったんです。大学5年生が確定した。留年も決まったしさらに興味のあることもない。そんな中でまだ音楽にしがみ付いていたんです。子供の頃から人前に立つことは好きだったので、ステージに立ちたいという思いはあった。
「仕事」にするなら裏方でもいいから「表現者」と呼ばれる人達の側にいれないかな? と思ったんです。そこで、メディア・芸能と呼ばれる表現を全て見てみよう、まだ自分が観たことや聴いたことのないものが世の中にあるんじゃないか? って。
そこからラジオや映画、歌舞伎のDVDなどを観ている中で「落語」というものがあったんです。
「そういえば落語って聴いたことないなぁ」と。当時の僕は、月のアルバイト代のうち1万円で好きなアルバムを3枚買っていたんです。いつものようにCD屋に行ってみるとメインコーナーが落語コーナーになっていた。
そのとき、ちょうど世間も落語ブームで『タイガー&ドラゴン』(2005年TBSにて放送)という落語をモチーフとしたドラマも放送されていた。いつもならかっこいいギター構えているミュージシャンのCDが着物のお爺さんたちのCDばかりになっていて。「よし、せっかくだから1枚買ってみよう!」と思ったら、店員さんがお勧めしている落語のCDの中に今の僕の師匠の立川志の輔のCDがあったんです。
―師匠・志の輔さんのCDを初めて手にとられた瞬間ですね。
そのとき、何故か師匠のCDに惹かれたんですよ。「立川志の輔??」ってコマーシャルで見たことある、たまにテレビで観るけど、落語の世界でも有名なんだ。よし3000円捨てるつもりでこの人のCDにしようと思って買い、すぐに家帰って聴きました。
そしたらめちゃくちゃ面白くって。夜中に必死で声が漏れないように布団かぶって笑ったのを今でも憶えています。「うわ、落語って面白いな!!」と。子供の頃に聴いた桑田佳祐さんの音楽と同じ衝撃を受けました。
そこから師匠のファンになり1年くらい師匠を追っかけて落語を聴きに行きました。観に、聴きに行くうちに気がついたんです。
やっぱり自分は舞台に立つのが好きですから、『向こう(表現者)の世界に行きたい』と。その時24歳、落語家になるためには前座修業に5年くらいかかる、よし30歳までやって駄目だったらその時もう1度考えてみよう、人生一回きりだから、と。そこから真面目に大学にも通って卒業して師匠・志の輔の下へ入門しました。
だから、もしもあの時、師匠・志の輔のCDを手にとっていなかったら、僕は落語家じゃなかったかもしれない、と今でも思います。
―落語家さんになるための「修業」とは実際はどのようなものですか?
入門を認められて、そこから前座修業期間に入るのですが、この修業はつらい以外何モノでもない。
修業期間はお給料もらっているわけじゃないんです。教えてもらいたくて、芸を学びたくて、入門してきたのだから無給で当然というのがこの世界の不文律。
前座修業中は師匠のかばん持ちで、一番師匠のそばにいるはずなのですがこの修業中の人間が一番何もわかっていないので、師匠にしてみればものすごくつらいのです。右も左も分からない奴に自分の鞄を持たせゼロから教える。師匠からしてみればストレス以外の何モノでもない。師匠からは、徹底的にそうじゃないそうじゃない…言葉遣いなども含めて怒られましたね。しかも明日の予定を知らされない、当日連絡なんです。後々気がつくのですがおそらく、この「当日連絡」は師匠の教育の一つなのだと思います。
(例えば)夜の23時に仕事が終わり「明日は昼の12時に俺んとこに来い」と言われれば、それまでを自分の時間と考えます。
いろいろな事考えますよね?? 「ゆっくり寝ようかな」とか「今からでもちょっと呑みに行けるな」とか。
でも師匠・志の輔は「明日が何時から」か言わないので、いつ電話がかかってくるかわからない状態なんです。つまり弟子に「師匠のことを常に考えさせておく」という状況をつくる。これには僕も毒されましたけど、この世界の修業ではかなり有効だなと思います。
このあとの二ツ目という階級になると、自分で仕事ができる立場になる。
そうなると朝は何時に起きようが、仕事後飲みに行こうが自由なわけですよ。これって当たり前のことのようですが、自分の時間をつくれるっていうのは、贅沢なことなんだな、とつくづく思います。
―二ツ目になってどのように変わりましたか?
そんな前座修業を経て二ツ目になると、これまでは師匠に毎日会っていたのが、ひと月ふた月に一回くらいしか会わなくなるんです。
二ツ目からは基本的に自分で仕事を頂き、こなしていく立場になります。でもちゃんと前座時代に修業をしていると心の中にもう一人の師匠「志の輔」がいる。
何かに迷ったときも「師匠だったらどう判断するかな、どう答えるかな」という目になるんです。それが大事なことで、ようは修業とは「心の中にもう一人の師匠をつくる」ということなんです。
心の中にもう一人の師匠をつくるためには修業中に完全に同化しなければいけない。最終的には師匠の「あれ」で何を指しているかわかるようになる。
「あれだよ、志の太郎あれだ」と言われれば「明日の新幹線の時間ですか?」「そうそう」というように。それくらい神経を師匠にそそぐのが修業なんです。
僕の大師匠はあの有名な立川談志という人なんですけれど、この家元・談志が若かりし頃に『現代落語論』という名著を書いています。その中に「落語とは何か」とあって「落語とは人間の業(ごう)の肯定である」という名台詞があるんです。「人間の業」とはいわゆる「人間の悪いところ」っていいますかね。卑しい・弱い部分。
例えばどんなに忙しくても人間というのは眠ければ寝てしまうよね? 「食うな。」と言われても死ぬほどお腹が空いていたら食べてしまうよね?? そのような弱さ、業を否定するのではなく肯定してあげる、弱い者の立場を守ってあげるのが落語なんだよ、と。事実、落語の世界には飢え、貧しさ、卑しさ、嫉妬などそのようなテーマの話がとても多いです。
つまり「業」っていうのは単体では悪い意味になりますが、僕らの世界は「修行」より「修業」、つまり「業」を「修める」んです。
これは眠い・お腹が空いているなどという感情を全部我慢しなきゃいけない。自分がゼロになるための修業で、自分を出しちゃいけないんです。今は自分を出すのが認められる、個性ありきの世の中で当然なんですけれども、落語家の修業においては自分を抑えなきゃいけない。
※家元:技芸の道で、その流派の本家として正統を受け継ぎ、流派を統率する家筋。
―兄弟子・弟弟子との関係はどのようなものですか?
我々志の輔一門には八人の弟子がいます。師匠・志の輔は厳しい師匠だったので、この八人の弟子達が仲が悪いと統率が取れない。なので我々弟子八人はものすごい仲がいいです。
僕も何かあったらまずは兄弟子に相談します。同じ修業をしてきた仲なので、考えはみんなしっかりしていて、さらに一番(総領)弟子の晴の輔(はれのすけ)兄さんがちゃんとできる人だったんです。
一番弟子って大事なんです。ある種、一番弟子で一門のカラーが決まる所もあります。ですから志の輔一門は周りから「しっかりしている」「さすが志の輔一門」と言っていただける事が多いです。これは少なからず一番弟子の晴の輔兄さんの存在が大きいです。
―師匠のCDを選んだのも、いい兄弟子に出会えたのもご縁と言うか運でしょうか。
よく運が良い・悪いといいますが、この「運」とは何だと思いますか?
運は、人に平等にあると思うんです。
うまく説明できないですけれど、運は「ラッキー」と捉えるか「チャンス」と捉えるかだと思います。
何か良いことが起きたときって、だいたい「ラッキー」と思いますよね。ただラッキーはラッキーのままで終わってしまう。運がいいとは、おそらくその運を「チャンス」と捉えてさらにそのチャンスをつかめる人だと思うんです。
あとは「自分って運がいいな」と思うことも大事だと思います。ある程度人生経験を積んできての僕の持論ですが、落語会を小学校や中学校でやる時には子供たちに「なるべく人生経験を積んだ方がいい」と伝えています。
例えば落語で『明烏(あけがらす)』という噺があります。ようは、遊びを知らない若旦那が親父に心配されて丸め込まれて、悪友に吉原へ連れて行かれて、結局ドはまりしちゃうという噺。
ようは「俺は行きたくないんだ」と言っていたら人生経験にならないんです。
行ってみて初めて知ることもある。
だから子供たちにも、野球が好きならお父さんやお母さんに年に1回でもいいから「球場に連れて行って!」と言ってほしい。
テレビで観ているのと現場に行って観るのはまた違う、それが人生経験。
そこで鳥肌の立つような経験をしてほしい。先ほどの話に戻りますが、「ラッキー」を「チャンス」と捉えられるかは、やりたいことがあるかないかの違いでしょうね。やりたいことがないと「ラッキー」も「チャンス」も区別がつきにくいと思います。
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ビジネスネタはおまかせ!の”理論派校正女子”。仕事やライフスタイルに「少し役立つ」多彩な記事をリリースしていきます。
(イラスト/直井武史)
藤原邦彦 a.k.a ドクトルF
昭和を引きずったまま平成と令和を生きる編集・ライター。
アニメ・マンガ事情は、アメリカやヨーロッパに続き、中国に興味あり。
(イラスト/近藤ゆたか)写真撮影:すずかすてら